大無量寿経の一言に感動しました

Posted 7月 2nd, 2011 by まるこ and filed in 浄土真宗:大無量寿経
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こんにちは。

浄土三部経について勉強しています。

『阿弥陀経』について
しばらく書いてきましたが、、

浄土三部経の中でも
最も大事だといわれる
『大無量寿経』の ある一言を
親鸞会の友達から教えてもらい、
感動しましたので、紹介します。
「独生独死独去独来」(大無量寿経)

読み方は
「どくしょう どくし どっこ どくらい」です。

わたしたち人間は
「始めから終わりまで独りぼっち」ということなんですね。

2600年も前に
インドで
お釈迦さまが
このように教えておられるのですね。。

わたしたち人間は、、
始めから終わりまで独りぼっち。。

科学が長足の進歩を遂げて
経済が著しく発展した日本に生きている
わたくしたちも
いろいろな人や物に囲まれていても
やっぱり
心は
独りぼっち、、
では ないでしょうか。。
というか、、
いろいろな人や物に囲まれているほど、、

なんといいますか、、
満たされない心
寂しい心
感じるのは
なぜでしょう。。

お釈迦さまの説かれた仏教には
この孤独な魂の救いが教えられているのでしょうか。。

ますます
詳しく知りたくなりました。

皆さんはどうですか?

『阿弥陀経』を説かれた時のエピソードです

Posted 5月 25th, 2011 by まるこ and filed in 浄土真宗:阿弥陀経
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こんにちは!

浄土三部経のひとつ『阿弥陀経』が

説かれた場所について
いまに伝わる エピソードがあるそうです。

それは
「祇樹給孤独園」という場所でした。

『阿弥陀経』には
「一時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園に在して、
 大比丘衆千二百五十人と倶なりき」とあります。
そこに建てられたのが、
『平家物語』の冒頭でも
よく知られている 「祇園精舎」です。
「祇園精舎」が建立されたとき
どんなドラマがあったのか、
親鸞会の友達から教えてもらったエピソードが
そうなんだ・・・と
心に残ったので、紹介しますね。
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「祇樹給孤独園」とは、
中インドのコーサラ国の首都・舎衛城にあった大寺院のことで、
一般に「祇園精舎」と呼ばれています。
『阿弥陀経』をはじめ、多くの経典が説かれた
祇園精舎の建立には、「黄金布地の盛挙」とたたえられた
有名なエピソードがあります。

「数千人が一度に聞法できる大殿堂が必要だ」
お釈迦さまに帰依していた給孤独長者は、
精舎建立の聖地を探していた。

国中を回り、やっと見つけたのが、
祇陀太子(ぎだたいし)の所有林である。
涼しい風が吹き、サラサラと小川が流れ、小鳥のさえずりが心を洗う。
「ここしかない。ぜひ土地を譲ってもらいたい」
八方手を尽くし懇願したが、祇陀太子は承知しなかった。
しかしあまりにも長者が熱心なので、
あきらめさせるため、無謀な条件を持ち出した。
「では、その地を黄金で埋めれば、その分だけの土地を引き換えに譲ろう」
それを聞くと長者は大喜びで、土地に金貨を敷き詰めていく。

半ばを過ぎようとした時、祇陀太子は驚いて、
「長者よ、待ってくれ。あなたは、全財産を投げ捨ててまで、
だれに、何のためにこの土地を寄進するつもりなのか」。

「お釈迦さまが仏のさとりを開かれ、
全人類が救われる真実の法を説いておられます。
私は、この国に仏法を伝えたいのです。
金や財は一時の宝。やがては壊れ、滅んでいきます。
しかし、真実の法は、永久に滅びない至宝です。
全財産を投じても悔いはありません」

太子の心は大きく動いた。
「ああ、あなたがそれほど尊敬されるお釈迦さまとは、
どれほど偉大な方なのでしょう。
もう金貨を敷くのはやめてください。残りの土地はお譲りします。
樹林の立ち木は、精舎建立の用材として私から寄進します」
かくて、壮大な聞法道場が落成したのです。
お釈迦さまは、この地を「祇樹給孤独園」と名づけられました。
「祇樹」とは、祇陀太子が献上した樹林を意味し、
「給孤独園」は、給孤独長者の買い取った園地(土地)を指すのです。
この地に、建立された大寺院は「祇園精舎」と呼ばれ、
両者の布施の大行は今日まで、連綿と語り継がれています。
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いかがでしたか?

この場所に祇園精舎が

建てられたからこそ

今日に、

仏説『阿弥陀経』が伝わっているのですよね。

『阿弥陀経』の始まり「如是我聞」とは?

Posted 4月 5th, 2011 by まるこ and filed in 浄土真宗:阿弥陀経
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未曽有の東日本大震災から
3週間余り経ちました。。
被災された皆さま
心よりお見舞い申し上げます。。
親鸞会で仏法を学んでいる
さくらから
この世も、未来も
救ってくださる仏は
阿弥陀仏だけなんだって 聞きました。。
みなさんは
阿弥陀仏という仏さまのこと
知っていますか?
浄土三部経のひとつである
『阿弥陀経』に
その阿弥陀仏のことが詳しく教えられているんですって。
葬儀や法事で、
『阿弥陀経』を耳にしたことのある方も多いのでは?

「シャーリーホ」と繰り返される、
あの『阿弥陀経』ですね。
漢字で書くと「舎利弗」。
お釈迦さまのお弟子のお名前だそうです。
『阿弥陀経』の始まりは
「如是我聞(是の如く、我聞く)」ですが、
『阿弥陀経』に限らず
お経は「如是我聞(是の如く、我聞く)」で始まるようです。
「お経(経典)」の成立について
さくらから教えてもらったので、紹介します。。
お釈迦さまの説かれたお経は
「七千余巻」という膨大な数の お経に書き残され、
総称して「一切経(いっさいきょう)」と いわれます。

その お経は、
お釈迦さま ご入滅後、
高いさとりを開いた500人の お弟子が集まり、
お釈迦さまの ご説法を記録したものなんですって。

お弟子の一人が、
まず、「このように私は聞きました」と、
ご説法の記憶を語ったため、
いずれのお経も、
「是の如く、我聞く」で始まっているのですね。

その内容に間違いないか、徹底討議の末、
記録されたものが「お経」となって、
今日に伝わっているから、
お経は、お釈迦さまの金口の説法とされ、
「仏説」とつけられているのだそうです。
では
『阿弥陀経』には
阿弥陀仏のこと、どのように教えられているのか
続きは次回に・・・

浄土真宗のお経とは*『観無量寿経』その13

Posted 3月 5th, 2011 by まるこ and filed in 浄土真宗:観無量寿経
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浄土真宗のお経・浄土三部経の一つ『観無量寿経』の13回目です。

『観無量寿経』に説かれている定善について書いていました。
定善は心を静めて、阿弥陀仏と、その浄土を思い浮かべることです。
今日ならば、勤行のときに、心を静め、阿弥陀仏を思い浮かべます。
ついつい忙しい忙しいで、心を静める時間がとれぬもの。
せめて朝晩、仏前に座り、勤行をさせていただき、阿弥陀仏を念じることがとても大切なことなのです。

浄土真宗のお経とは*『観無量寿経』その12

Posted 2月 2nd, 2011 by まるこ and filed in 浄土真宗:観無量寿経
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『観無量寿経』には定善といわれる善が教えられています。

定善とは、心を静めて、阿弥陀仏と、その浄土を想い浮かべることです。

十三通りありますから、これを定善十三観といいます。

以下の十三です。

日想観、水想観、地想観、宝樹観、宝池観、宝楼観、華座観
像観、真身観、観音観、勢至観、普観、雑想観

浄土真宗のお経とは*『観無量寿経』その11

Posted 1月 27th, 2011 by まるこ and filed in 浄土真宗:観無量寿経
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浄土真宗親鸞会で聞いた、観無量寿経について書いています。

観無量寿経には、定善、散善が教えられています。

仏教、特に浄土仏教には、善が教えられていないとびっくりするようなことを堂々という人がありますが、とんでもない間違いですね。

観無量寿経にはとても詳しく善について教えられているのですから。

しばらくこのことについて書いていきたいと思います。

浄土真宗のお経とは*『観無量寿経』その10

Posted 6月 24th, 2010 by まるこ and filed in 浄土真宗:観無量寿経
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浄土真宗のお経について学んでいます☆

『観無量寿経』というお経には

『王舎城の悲劇』という史実が書かれていて

とても興味深いです。。

そのアニメーションを持っている、親鸞会の友人から

アニメの冊子を借りたと、

ずいぶん前に、ブログで書いたような気がします。。

その内容から

『王舎城の悲劇』とは・・・

『観無量寿経』・・・

浄土真宗の教えとは・・・

近づいてみたいと思います。
まずですね

表紙には、こんな言葉が!
====================

『家庭悲劇』続発の 変わらぬ難度海の人生

明るく楽しく渡す大船 ここにあり

仏教史上最大の悲劇

ハッピーエンドに転回させた

釈尊の妙手は 何か

====================

ホントに

家庭悲劇 続発って

今も昔も変わらないのですね。。

それを、ハッピーエンドに転回させるのが

お釈迦さまの説かれた仏教なのでしょうか。。
今回は、最初のところを紹介しましょう。

タイトルは

……『親鸞聖人と王舎城の悲劇』
    『正信偈』の御心と、あらすじ……

**************************

親鸞聖人は、「阿弥陀如来に救われると、韋提希夫人と
一味の世界に生まれ出る」と、『正信偈』に
書かれている。

韋提希夫人とは、この世で最初に、阿弥陀如来に
救い摂られた人である。

そこには、どんなドラマがあったのか。
『観無量寿経』に説かれている
『王舎城の悲劇』といわれる物語が、それである。

**************************

そうか!

親鸞聖人が『正信偈』に

「与韋提等獲三忍」と書かれているのは、

韋提とは、韋提希夫人のことで、

「阿弥陀如来に救われると、韋提希夫人と一味の世界に

生まれ出る」ということなんですね!
今日は ここまでにします~

浄土真宗のお経とは*『観無量寿経』その9

Posted 4月 25th, 2010 by まるこ and filed in 浄土真宗:観無量寿経
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『観無量寿経』という経典には

有名な史実『王舎城の悲劇』について書かれています。

 

 

この悲劇の発端といいましょうか、

そもそも

王さま夫婦すなわちビンバシャラ王と韋提希夫人が

世継ぎの子供欲しさに「占い」に迷ったことにあったんですよね。

 

占いは、

2600年とは比較にならぬほど

科学や医学が進歩し、

経済発展を遂げた今日でも、

変わらずに、ある。。

というより、増えているといってもいいくらいでは?

テレビでも、有名人が、有名な占い師を呼んで占ってもらっている場面など

ときどき目にしますよね。

女の子は特に、星占いとか、スキなんでしょうか。。

他人事みたいに書いていますが、

わたくしはなぜか

むかしから、あまり星占いとか関心がなくて。。。

 

でも、そういった占いなどが気になるのは

その心はどこからくるのか、

ちょっと考えてみますと、、、

やはり、自分の未来の運命が知りたい!気になる!

これにつきるのではないかと思います。

 

運命というのは、仏教では、使わない言葉だそうですが、

身近な言葉でいえば、そうなりましょう。

 

 

自分の運命は何によって決まるのか??

これは、どんな人にとっても

最大関心事なのではないでしょうか。

 

 

運命の謎・・・

この謎解きが、

2600年たった今日でも、なされていないから

相も変わらず、占いが繁盛している。

そんな感じがしますね。

 

……ということは、

この『王舎城の悲劇』のようなことが

今日でも、起こりうる可能性は十二分にある、ということではないでしょうか。

いや、可能性どころか、すでに起きているのかも、、、しれません。

浄土真宗のお経とは*『観無量寿経』その8

Posted 3月 31st, 2010 by まるこ and filed in 浄土真宗:観無量寿経
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『観無量寿経』というお経には

2600年前、インドで実際にあった

『王舎城の悲劇』について書かれていると紹介してきましたね。

 
悲劇の発端は、

王舎城に住まいしていた

ビンバシャラ王と韋提希夫人の

「子供が恵まれない」という悩みにありました。

 

王夫妻ですから、

お金も物も、地位も名誉も

衣食住すべて、困ることはないどころか

最も恵まれていたわけですが、

いちばん求めていた

世継ぎの「子供」に恵まれず

どうしたらどうしたら……という悩みから

占い師に頼ることになったんですよね。

 

苦しいときやつらいとき

未来に不安を感じているとき

「占い」のようなものに頼りたくなる

不安な心は、

2600年前のインドでも、

現代の日本でも、変わらないのだなあ……と知らされます。

 

人間の住む環境は大変わりしていますよね。

経済も科学も、2600年前と今とでは、全く違います。

 

それでも、みんな

不安な心や苦しみを抱えているだろうし、

自殺者は、減るどこか、日本だけでも年間3万人、

もう12年連続になるそうです。

 

苦しみや不安の根本的解決が分からなければ、

「占い」のような、根拠のハッキリしないものにでも

頼ろうとする心、あるのではないでしょうか。

 

毎朝のニュース番組で、「星占い」とかあるのは、

それだけ需要があるからでしょうね。
しかし、それが、ほんとうに、求めている幸せに結びつくのかどうか。。

2600年前の韋提希夫人は、

結果的には、大変な悲劇にまで、陥りました。

それが、仏教史上最大の『王舎城の悲劇』なのですね。。

 

『観無量寿経』に、そんなことが書かれているとは、

なんといいますか、

お経というのは、そういうものなのか、と驚かされます。
つまり、、、

お経というのは、

意味の分からないことが並んでいるように思いがちですが、

実は、生きている人間の、切実な悩み

そして、それを、お釈迦さまが、

どのように幸せに導かれるのか、ということ。

もっと、よく知りたいと思います。

浄土真宗のお経*『正信偈』はお経じゃない!?

Posted 2月 28th, 2010 by まるこ and filed in 未分類, 浄土真宗:お経とは
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先回、

浄土真宗のお経の ひとつ

『観無量寿経』に説かれている

『王舎城の悲劇』は

どうして起きたのか

「惑業苦」について 書いていたよね。

 

 

ところで

浄土真宗のお経といえば

『大無量寿経』

『阿弥陀経』

『観無量寿経』

この3つが、浄土三部経といわれる

大事なお経ということなんだけど、、、

 

 
みなさんは

法事などで

『正信偈』 って

聞いたことありません?
 

あの

「帰命無量寿如来 南無不可思議光」

で始まる、『正信偈』ですね。

 
 

『正信偈』も

浄土真宗で大事な お経なんじゃないかと

ちょっと気になってたの。

 

 

そしたらね

親鸞会で話を聞いている人が教えてくれたんだけど

『正信偈』は

お経とは言わないんだって!

 

みなさん、ご存知でした?

 

 

聞いてみれば

なるほど

そうだよなって、

よく分かる話なの。

 

なぜって

お経というのは、

「仏説○○○経」といわれるように

 

仏さま

つまり

仏のさとりを開かれた お釈迦さまのお言葉が

書かれているものなんだよね。

 

それを「お経」とか「経典」といわれる。。

 

でも

『正信偈』は、

800年前、日本にお生まれになった

親鸞聖人の書かれたものだから

お経とは言わないんですって!

 

どちらも

漢字ばかりで書かれているし、

法事などで読まれるから

同じように、「お経」と言っている人が

多いみたいだけれど

正しい言葉を使わないとね。

いろいろ間違っていく元だっていわれるから。

 

……

ということで

今回は、

『王舎城の悲劇』のお話 綴られなかったけれど

とっても大事なこと、分かったので

アップします~っ☆